top

教会紹介

牧師の証し(教会に行くようになったきっかけ)

家内の母は家内がまだ高校1,2年の時に家内に私(家内より8,9才年上)と結婚して欲しいと頼みました。家内はお母さんの言うことは何でも従ってきましたが、好きでもない人と結婚することだけは出来ないとことわりました。それでも家内の母は家内に私と結婚してくれないと死ぬとまで言ったそうです。
家内はそれで悩んで高校、大学と過ごしたそうです。
誰に相談してもそんなに悪い人には見えないと言われ、家内の気持ちを分かってくれる人は一人もいなかったそうです。そして大学3年の時に、家内の友達がクリスチャンになって家内に伝道してくれたそうです。家内は「私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛し」(Ⅰヨハネ4:10)を読んで、一番自分を愛してくれていたと思っていたお母さんの愛は自分の願望を押しつけてくるだけの愛であることが分かったとき、自分を愛してくれる人は、一人もいないので、死のうと思ったそうです。ところが神様が愛してくださっていることが分かりその神様を信じたそうです。
そして聖書にはクリスチャンとクリスチャンでない人の結婚は禁止されているので,私と結婚しなくてすむと思って、ほっとしたそうです。
ところが家内の母はそんなことであきらめるような人ではないのです。私に教会まで家内を送迎する役を頼みました。私は家内がそんなに悩んでいるとは知らないので、(私はなんと鈍感な男でしょう)家内の母から頼まれていいですよと引き受けたのです。私はお正月の朝はお宮さんにお参りをする習慣がありましたので、家内を教会で降ろして、お宮さんに行こうとしたのですが、どういう訳だかトイレを借りに教会へ入っていったのです。
教会の方々は良くいらっしゃいましたと言って、新来会者と間違えてしまったのです。
それから月に1,2度礼拝に出席しました。
ある日のメッセージでイエス様がパリサイ人から食事に招かれていたときのことです。イエス様の足はほこりまみれでした。それを見た罪深い女(売春婦)が、イエス様の足を自分の涙でぬらし、自分の髪の毛でぬぐったのです。
その行為は誰からも愛されない罪深い女をイエス様が愛した結果であることが分かりました。そしてイエス様はその罪深い女の罪の刑罰を十字架で受けて下さったという話を聞きました。私は世の中にはなんと馬鹿な人もいるものだなーと思いました。その罪深い女を愛したからと言って1銭の得になるわけでなし、他の人から認められるどころか、馬鹿にされるだけです。ところが不思議なことに私もその馬鹿な人について行ったら、少しは人を愛する人間になれるのではないかと思えるようになったのです。それは、私は私の母から「おまえには愛がない」「おまえには愛がない」と言われて育ちました。
私の母は愛の人でしたので、その母から言われるのだから、私は人を愛する人間にはなれないと固く信じていたのです。しかし、イエス様について行けば私も少しは愛の人に変えられるのではないかと思えたのです。
 こうして私の求道生活が始まりました。

<<戻る ▲ページトップへ